どうも。「かんりしゃ」です。
めっきり寒くなりましたね。秋の時間が年々短くなっているような感じがします。さみしい。
しなければいけないことはたくさんあり、けどそれにとりかかるまでには、自分の中にエンジンをかけなければならず、それが難しかったりします。
今、この日記を書くことで、エンジンがかかってこないかと期待しているところです。
急に、超まじめな話ですが「生きる」ということについてよく考えます。
「生きるって何やろ」「どう生きるのがいいんやろ」「生きられないってどんな気持ちやろ」とかとか。
そういうことを考えるのが好きだと言えるし、そういうことを考えないと生きていけない性分なのかもしれません。
本を読んだり、映画をみたり、ニュースをみたり、自分で考えたり、人の話を聞いたりしている中でいろいろ考えることがありました。
そこで得た1つの考えは「“ただ生きる”ことは、“どう生きるか”とは比べられないくらい大切なこと」ということです。
要は、どんな生き方をしていようが、人は“ただ生きる”だけで、十分生をまっとうしているやろってことです。
当たり前すぎることなんですが、人にとっていのちほど大切なものはないはず。
こうやって、わざわざ言葉にしたくなるのは、そういうことが軽視されているのでは?と危惧する場面にたまに遭遇するからです。
「どう生きている」かで、万が一にでも、命に優劣がつけられてしまう価値観が、自分にも人にもあるなら、それには必死に抵抗していきたいです。
ただ生きていることに比べたら、どう生きるかなんてことは、驚くほどどうでもいいことのはずです。
今もいろんなことを考えながら書いているのですが、ふと「安楽死」「中絶」「死刑制度」のことらが頭に浮かんできて頭が複雑になってきました。「ただ生きる」ってのも、むちゃくちゃ大変なことやな。。。
さぁ、エンジンが少しずつかかってきました。
生きているからこそ、やりたくない事務作業にもとりかかれそうです。やらななぁ