トロッピーに会いに宝塚にいってきました

どうも。「かんりしゃ」です。
8月も末ですが、まだまだ暑いですね。

この度、レトルトカレーづくりで大変お世話になっている、幸南食糧様を通じて、大阪総合保育大学短期大学部様から、箱の組み立て等のお仕事をいただきました☺
大学が、つくったレトルトカレーの箱づめです。
こくりでは初の作業で、「かんりしゃ」はなかなかてこずりましたが、充実した仕事になりました。
本当にありがとうございます。

そのレトルトカレーは、阪急宝塚さんで実施された「カレーグランプリ2024」に出店されました。
京阪神の9つの大学が集まって、No1のカレーを決める大会だそう。
カレーの偵察&こくりでやった仕事がどういかされてるかを、阪急宝塚までみにいってきました。

ここ数週間、ずっと「かんりしゃ」の心の中にあったトロッピーカレーです。
ひき肉たっぷりで大変美味でした!!

そして、昨日は天気がよすぎ!
空も雲もキレイでした。

思いのほか、小さなイベントだったため、ご飯を食べた後は「手塚治虫ミュージアム」に行ってきました。
マンガの神様が、中学校の頃に書いた絵がありましたが、うますぎ!レベルが違う!


そんなこんなで、穏やかな楽しい1日でした。
トロッピーカレー、売り上げ好調だそう。また追加で仕事もらえるかも。。。
みなさんも、ぜひ食べてみてください。「かんりしゃ」に言うてくれたら、何とかとりよせます!

日々、早めに過ぎ去る中での、大発表会

どうも。「かんりしゃ」です。
ありがたいことに、カレー屋に期間限定の内職に、いろいろと忙しくさせて頂いています。
こうやることが多いと、やることをこなすことに手一杯になって、何かゆっくり考えてものごとをすすめるってことがしにくい。
余白が少ない。

と言うことで、大発表会のお知らせもなかなかできずにいます。

イオンさんで2回やらせて頂いて、ノウハウはつかめてきた感があります。
けど、ノウハウをつかんじゃうと、それにのせてやったらええやってなりがちで、イベントに血が通いにくくなっちゃう不安もあります。
別にそこまで考えんでもええねんけど、考えなあかんのちゃうかな、とも思ってます。

今回は、精神科医の先生をお呼びし、うつについて学ぶという軸があります。
その上で、うつ当事者たちの体験と、先生の話がどうマッチするのか、もしくはしないのか、それらを通して、医学としてのうつと、当事者の人生においてのうつとを比べられたらと思っています。

各自のプロジェクトの発表場でもあります。
今年度のレトルトカレーもできそうやで。
スイーツプロジェクトも再始動するで。

何か盛り込みすぎて、わけわからんくなりそうやけど、わけわからなさこそこくりやな、とも思います。
「かんりしゃ」のわけのわからなさがあらわれてそうな感じもするけど。

何か、適当なブログになりましたが、みなさん大発表会きてください。
勉強になると思います。

友だちブログ 「かんりしゃ」の場合

友だちというテーマで考えると、ある一人の人が思い浮かぶ。ふと思い浮かぶこの人は「かんりしゃ」にとって友だちなのだろう。
 
親子は血縁関係、恋人は大概告白みたいな口約束がある。職場の仲間も雇用契約などをもとにした関係である。
 
けど、友だちにはそれらの決まりごとや約束ごとがないなーと思った。友だちになろうと言ってなることは、少なくとも「かんりしゃ」にはなく、何となく近しいところにいて、それが、結果的に友だちかなって思ってるくらい。

そう考えると、友だちって、すごくあいまいで不安定で貴重やな、と思う。

先にあげたあの人は、たぶんむこうも「かんりしゃ」のことを友だちと思っていそう。それがあるからこちらも安心して「友だち」とすんなり言えるのだと思う。約束はしてないけど友だち。

別に大切な話もしないし、してもいい。けど基本どうでもいいことの情報交換だけしてる。密に連絡をとってもいいし、とらなくてもいい。たぶんお互いに歳をとったら、一緒に何かする(つりチーム結成みたいな!)やろな、と思っている。けどそれをしなくてもよいとも思ってる。

大切でもない、どうでもいい時間を長く過ごしたから、どうでもよくて、けどどうでもよいと思えること自体がすごく大切でありがたい感じ。友だちやなー。

友だちブログ 「398」の場合

私にそれほど友達はいない。
いない、と書いているものの、片手で数えられるくらいには友達はいる。

元々はもっといたような記憶はあるが、数十年生きていると疎遠になる。
なので、昔は友達だったけど今は友達じゃなさそう…みたいな人がたくさんいる。
友達みたいな人は8割7割、自分と趣味や嗜好が合っている人のことを指すと思う。

では、友達みたいな人とは違う友達とはどういう人なのか。パっと思いつく人がいるのでその人について考えてみる。前述した人たちとは異なり、その人と私の趣味や嗜好はあまり合っていない。不思議な話であるが、一致する割合としては半分もないのではないかと思う。50%一致しているかどうか、というくらいである。ただ、私にとってたしかにその人は友達だと言える。趣味や嗜好があまり合っていないこと以外に何か違うことは何だろうと考えてみる。思い当たるのは、私がその人に対してスゴイ!と思っていること。この人は本当にスゴイ人だなぁというきもちを抱いている。リスペクトである。私にとって友達とは、その人をスゴイと思えるか。リスペクトできる人物かどうかが重要になっているようである。

友だちブログ 「おすし」の場合

私にとって「友達」とは、人生により彩りを与えてくれるものだと感じています。言語化が非常に難しいのですが、必要不可欠だけど必要不可欠でもない気もする、というような感じです。

例えるなら、自分自身がサラダだとしたら友達はドレッシングです。ドレッシングには様々な種類があり、様々な味のサラダになることができます。また、私は何もかけずにサラダを食べることも好きです。好きな時に好きな味で食べたいので、いろんな種類のドレッシングを常備しておきたい気持ちがあります。

つまり、私ひとりで過ごす時間も好きだし、私の人生のメインは私です。しかし刺激を与えてくれたり、視野を広げてくれたり、より人生をおいしくしてくれるのは友達の存在があるからだと感じています。ドレッシングに頼りすぎなくてもサラダだけでもおいしいと感じる、でも味気ない時もある、なので必要不可欠だけど必要不可欠でもないと最初に述べました。ちなみに私自身が楽に生きる工夫として、ドレッシングとは程よい距離感で付き合うことを意識しています。サラダだけでも十分おいしいと感じれるように。

私の友人にとっても私がドレッシングのような存在でありたいと思っています。