どうも。「かんりしゃ」です。
また、「ちゅん」からリクエストもらいましたので、一つの例として「かんりしゃ」から「疲れ」の文章を書かせてもらいます。
これは大変よいテーマですね。
人間生きてたら、ほとんどの人が「疲れ」を体験してそうやし、「疲れたー」と言ったら理解しあえてそうやけど、けどそれぞれまったく違うものをさしてるかもしれませんね。
とはいえ、ここでふと思いつきました。
100mダッシュした後の、はーはー言うような「疲れ」は、何か多くの人で似てそう。
それに比べて、生活の積み重ねや人間関係の「疲れ」は、人によってもしかしたら全然ちゃうかも。
これは「からだ」をもとにしているか、「こころ」をもとにしているかの違いなのかもしれませんね。
どっちも「疲れたー」と言いますが、それはだいぶ違って「日本語が足りてない」状態かもしれません。
「からだ」の疲れは、これ以上走れない、等の限界がまだわかりやすい
「こころ」の疲れは、この限界のラインが「からだ」に比してわかりにくい。だから自他ともに無理したりすれちがったりしやすいのかもしれません。
自分自身の「疲れ」のことを思うと、毎日疲れているとも言えそうです。
けど、about5/7のところでも書きましたが、「かんりしゃ」は自分でやりはじめたことがメインの日々なので、「イヤな疲れ」ではありません。
いわゆるこの「疲れ」は、「充実感」につながりやすい「疲れ」になるのかも。「イヤな疲れ」は単なる「疲れ」ですね。
じゃあ、「イヤな疲れ」って何でしょう。何が「良い疲れ」なのでしょう。
その違いもおもろそうやし、ただ「かんりしゃ」の場合は「イヤな疲れ」でも「良い疲れ」でも、それを解消(なぞは本質的にはできなさそうですが)を目指して、日常とは異なる何かをしてくなってそうに思えました。
疲れの感覚はちゃうけど、解消手段は似てるのかも?
こんな感じで、イントロ兼今後の人への「かんりしゃ」なりのバトンとして、記事を終えてみます。
みなさんの記事を楽しみにしています。

