最終回-1 ASDとASD

 最終回は、大きく出ることにしました。その名も、『ASDとASD』。
 このプロジェクトが始まった当初は、ASDを「ASD」として語ることのリスクを考慮して、障害自体には関連のない話題をテーマに置くスタイルを選びましたが、今回は一旦の締めくくりとしてこのような形をデザインしてみました。色々と発達障害を取り巻く環境や制度も変化しそうな中にあって、直球勝負も必要かなといったところです。

 ASDが「ASD」をどう感じ、研究し、表現するのか。そして、その果てに待つ、自己研究の弊害みたいなものにも触れられれば良いかなと考えています。
 そして、初めに言っておきますがとんっっでもない文字量です!!なので、ホームページ上では3回に分けて投稿しようと思います。大ボリュームですが、最後だから大目に見て!!

1.そもそも「ASD」って?

 まず、今更と言うか改めてですが、ASDというものをざっくり説明したいと思います。

 ASDとは「Autism Spectrum Disorder」の略で、発達障害の一種です。日本語だと「自閉スペクトラム症」、こっちの方が聞き馴染みがありますかね。基本的には医療機関によって診断がくだる、れっきとした先天的精神障害にあたります。

 で、そもそも「スペクトラム」って何ぞやねんという話ですよね。スペクトラムとは直訳すると、「連続体、範囲」のような意味で、身近なところだと理科の授業で習った可視光線のスペクトルを思い出してもらえれば話が早いです。
 つまりは、あのレインボーの図のように、明確にどこからどこまでが何色と言えないようなグラデーション的概念で障害/特性を捉えるということです。昔は、「自閉症」、「アスペルガー症候群」、「小児期崩壊性障害」みたいに分類化されていたそうですが、最近はそういうグラデーション性を考慮して、「自閉スペクトラム症」という言葉に統括されました。

 よって、同じASDでも様々な特性/傾向があり、当事者間で共通することもあれば、その人オリジナルの自閉性が表れたりすることもあるわけです。

 さて、こういうことも踏まえた上で、この「自閉スペクトラム症」を診断する際に、お医者さんがよく参照する世界的医療書『DSM-5® 精神疾患の分類と診断の手引』(注1)についてご紹介したいと思います。その『DSM-5』に於いて、「自閉スペクトラム」の診断定義は主にこう書かれています。

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(1)例えば、対人的に異常な近づき方や通常の会話のやりとりのできないこと……
(2)非言語的コミュニケーション行動を用いることの欠陥……
(3)人間関係を発展させ、維持し、それを理解することの欠陥……

B.行動、興味、または活動の限定された反復的な様式……
(p.26〜27)

(1)常同的または反復的な身体の運動、物の使用、または会話……
(2)同一性への固執、習慣への頑ななこだわり、儀式的行動、小さな変化に対する極度の苦痛、移行することの困難さ、柔軟性に欠ける思考様式……
(3)異常なほど、きわめて限定され執着する興味……
(4)感覚刺激に対する過敏さまたは鈍感さ……

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 みたいな感じで抜粋してみました。当事者としては、ここに書かれていることに共感や的確さを覚える一方で、特性を「結果で掴まえる表現」(後述)に違和感を感じたりもします。
 で、こういうお堅い医療的定義に対して、一般的に「自閉スペクトラム」がどう説明される場合が多いのかも、『発達障害がよくわかる本』(注2)という書籍から紹介しておこうと思います。

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ASDの主な特性(p.16)

・コミュニケーションなどの困難……
・興味などのかたより……
・感覚の異常……
・関係理解の弱さ……
→対人関係が苦手、こだわりが強い、空気が読めない……

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 この書籍も『DSM』を根拠に引用しながら書かれており分かりやすいところもあるんですが、入門書という立場上どうしても、色々な特性/傾向とそこから成る問題が簡潔に表現されています。発達障害を全く知らない人たちに向けて取っ掛かりを作るには、こういうアプローチしかできないのは当然ですが、やはり根源的なところを省略されてしまっている印象は否めません。
 余程のことがない限り、一般の方はこれ以上先の発達障害研究にはアクセスしないと思われるので、基本的にはこういう認識で社会が醸成されていくでしょう。

 それによって、とりわけ物凄く困っているわけでもないんですが、今まで生きてきて、そして今生活していて、「あぁそもそも見えている世界がお互い全然違うんだなぁ」という雑感は事あるごとに訪れており、その度に、切なかったり申し訳なくなったりするのです。

 何が言いたいかというと、もう少し「問題が生まれる瞬間の結果的観測」だけじゃなくて「見えている世界自体の共有」に、研究や理解の在り方がシフトしていく必要があるんじゃないかということです。「ほいなら、その一例を僕が説明してみますがな」といった感じで立ち上がったのがこのコラムだったわけです。
 RPGを通して、サッカーを通して、映画を通して、VOCALOIDを通して、そして次のチャプターを通して、僕が暮らしている、源流の世界を説明してみますがな〜!!