フレディ・マーキュリーの数々のエピソード


ご閲覧ありがとうございます。
前回は筆者が何故フレディを好きになったのかなどの話を語らさせていただきました。
今回は彼の様々なエピソードについて語っていこうと思います。
彼ならではのエピソードが沢山ありますので是非ご覧ください。

1.彼のトレードマークでもある上だけのマイクスタンドは偶然生まれたもの

彼のトレードマークの1つでもある「上だけのマイクスタンド」わかりやすく言うと立てる事のできないマイクスタンドです(笑)
彼はこれを時に杖のように扱い、時にギターに見立てて弾く真似をしていました。
そんなマイクスタンドですが、実はライブ中にフレディがマイクスタンドを持ち上げようとした際に偶然上の部分が外れてしまい、それをフレディが気に入ったため以降のライブでは彼のトレードマークとしてこのマイクスタンドが使われるようになりました。


2.猫を溺愛していた

彼は猫をかなり溺愛しており、彼が交際していた人の不倫が発覚した際は家から出ていくよう言い渡しましたが、「猫は置いていけ」と言ったほどです。
また、デライアという三毛猫をかなり気に入っていたようで、いつも一緒に寝ていた程です。そして彼が生前最後に参加したQueenのアルバム「イニュエンドウ」というアルバムに「愛しのデライア」という曲を残しており、デライアを本当に愛していたことが分かる歌詞となっています。

“Delilah, Delilah
Oh my, oh my, oh my, you’re irresistible

You make me smile when I’m just about to cry
You bring me hope you make me laugh – and I like it”

(デライア、デライア
ああ、愛しい君には逆らえない

悲しくても君が居れば僕は笑顔になれる
君は僕を笑顔と希望をくれる、大好きだよ)

Delilahより翻訳


3.4オクターブの高音を出すことができた。

一般的なプロのアーティストでも高音は2オクターブ程と言われていますが、フレディの場合はそれの倍の高音が出せていたと言われています。彼は合唱団に入っていたこともあり、オペラにも精通していたようですのでこのような驚異的な高音を出すことが出来たのかもしれません。

曲でいうと「アンダープレッシャー」という曲で超高音の部分が有るのですが、その部分をフレディが歌っています(ちなみに低音部分はデビット・ボウイが歌っています)


4.絶対音感を持っていた

幼い頃からピアノを習っていた彼ですが、12歳の頃に所属していたスクールバンドの友人は彼はラジオで聞いた曲をなんでもピアノで弾くことが出来たと語っています。
それ程フレディの音感は素晴らしいものであったことがわかります。


5.バスルームで一曲作り上げた

フレディは「愛という名の欲望」という曲をバスルームで作り上げたと言われています。また、ピアノをバスルームに持ち込んだという噂もあります。思いつたらどこでもやる、それが名曲を生み出す秘訣だったのかもしれませんね。


6.実はピアノの演奏に自信が無かった

ピアノでも素晴らしいパフォーマンスを見せる彼ですが、実は彼自身自分はピアノが上手いとは思っていなかったらしく、特に『ボヘミアン・ラプソディ』のピアノ演奏は嫌だったとか。しかしそれを感じさせない自信満々なピアノパフォーマンスを見せるのが彼の凄い所だと思います。


7.Queen結成後しばらくはロジャーと共に古着屋を経営していた

フレディは後にQueenとなるバンドであるスマイルに加入する前は古着屋を経営していました。その後フレディがスマイルに加入し、Queenとなった後はそこにドラムのロジャー・テイラーも加わり二人で経営することになります。場所はケンジントン・マーケットで今でも古着屋や飲食店などが多い観光地だそうです。
二人はそこで仕入れた服をライブ衣装にしたり売ったりしていたそうです。


8.出っ歯を気にしていた

今やフレディのトレードマークの一つでもある出っ歯ですが、本人はかなり気にしていたようで、矯正も考えたそうですが時間が無かった事と、矯正した為に歌の発音が変わってしまうことを恐れて最終的には矯正はしなかったそうです。インタビューの映像などを見ると、笑うときに手で口を隠して笑っている事が多いので、相当気にしていたことが分かります。


9.日本が大好きだった

フレディが大の親日家だったのは有名な話で、ライブでの来日以外にも度々プライベートで来日していたのだとか。また、『バルセロナ』というソロアルバムでは『La Japonaise』という大部分が日本語の曲を書くほど彼が親日家であったことが伺えます。
また、日本の美術や工芸にもかなり関心が有ったようで、自宅に日本庭園を造りそこの池で錦鯉を飼ったり、来日した際は必ず日本の骨とう品を買い漁ったのだとか。


上記以外にも、フレディ、そしてQueenには様々なエピソードが沢山あります。
これを読んで気になった方はぜひ一度Queenやフレディについて調べてみてはいかがでしょうか?

ご閲覧ありがとうございました。



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ぜひ、一度ごらんください。

『ホット・スペース』 
Queenがダンスミュージックに挑戦した意欲作。デビット・ボウイとのコラボ作である「アンダー・プレッシャー」ではフレディの超高音が聴くことが出来ます

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『バルセロナ』
フレディのソロアルバム第二弾。オペラ歌手であるモンセラート・カバリエとの共同作品。「ラ・ジャポネーズ」では大半が日本語歌詞で書かれた曲をフレディが歌いあげています。

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何故フレディ・マーキュリーが好きなのか

前回はフレディ・マーキュリーの生い立ちや生涯、性格や彼の死後に与えた影響などを語りました。
今回は筆者が何故フレディ、そしてQueenが好きなのかについて語らさせていただこうと思います。

筆者がフレディ・マーキュリーを初めて知ったのは、2011年に放映されていたカップヌードルのCMがきっかけです。『I was born to love you』のPVに合わせてカップヌードルの替え歌を歌っているというCMなのですが、当時中学生だった筆者は面白いCMくらいにしか思っていませんでした(笑)
それと今でも好きなのですが当時はGLAYにハマっており『HOWEVER』の替え歌の方が好きだった覚えがあります。

ただ、白い衣装に身を包んで踊るフレディの姿は強烈に印象に残っており、それから月日が流れ23歳になったころ、ふと「あのCMの曲ってなんなんだろう?」と気になる様になりました。
そして色々調べ、Youtubeで『I was born to love you』のPVを観ました。第一声である”I was born to love you”という歌声にかなり衝撃を受けたのを覚えています。「なんて奇麗でカッコいい声なんだ!」と

そして歌いながら踊るフレディの姿に心奪われてしまいました。
筆者は幼い頃にX JAPANのHIDEがギターを弾く姿を見てそのカッコよさに心奪われたのですが、その時と同じように「なんてカッコいい人なんだ!」と強い衝撃」を受けました。

そして彼はフレディ・マーキュリーといい、Queenというバンドでボーカルをやっていたということを知りました(Queenという名前は知っていたのですが、どういったバンドかというのは全然知りませんでした。)

そしてQueenの楽曲を聞いてさらに衝撃を受けました、『We will rock you』、『We are the champion』、『Don’t stop me now』などどの曲もどこかで頻繁に耳にしていた曲ばかりでした。
何気なく耳にしていた曲がQueenの曲だったなんて!と驚きました。
ですが、それよりももっと驚いたのが『Bohemian Rhapsody』で、映画のタイトルにもなっていたので曲名は知っていた曲だったのですが、聴いてみると、バラードから始まり突然ミュージカル風になったかと思えばロックになり、そして最後にバラードで終わるという内容にまるでミュージカルかオペラを観た様な気分になりました。そしてこの曲を作ったのはフレディだと知り、「この人は天才なのかもしれない…」と思いました。

ライブ映像もたくさん観ました、伝説と言われるLIVE AIDの映像を観たとき、ピアノを弾き歌ったり、曲に合わせてキレキレに動き、コール&レスポンスで客を盛り上げたり、ギターを弾きながら歌ったりとフレディはほんとに多彩な人だなと思いました。そして後にこのLIVE AIDはQeenの単独ライブでは無かったこと、そしてこのライブに参加した誰もが「このライブの主役はフレディだった」と語っていた事にまたも驚かされました。
20世紀最大のチャリティーライブと言われるこのライブですが、旧ウェンブリー・スタジアムに72,000人が集まり、130か国で放映された為約19億人に向けてQueenは演奏し、皆を魅了してしまったのです。Queenのメンバー全員がいい意味でとんでもない人たちなんだと思い知らされました。

そして、この頃筆者は『フレディ・マーキュリー ~孤独な道化~』という本と出会いました。古本で2000円と割と高かったのですが、どうしてもその本が読みたくなり購入。
読み進めていくうちに、フレディ・マーキュリーという人物は自分が想像していたよりも繊細で孤独な人だったという事が分かり、特に人に対して壁を作ってしまう所や、かなり人見知りであったという部分など共感できる部分も多くありました。そして、フレディは自分はビッグになると自分を信じて疑わなかったこと、どんな逆境にも自分やQueenのメンバーを信じて立ち向かっていった事に自分は勇気をもらいました。

この本を読み終えた後、自分にとってフレディはカッコいいだけでなく人として尊敬できる文字通り偉大な人になりました。

上記の様に自分はフレディを知り、彼について知っていく程彼を好きになっていきました。

調べていくうちに彼がオニツカタイガーのスニーカーを履いていた事を知り、24歳になって初めてオニツカタイガーのスニーカーを買ったのですが、あまりにも自分に馴染んだのでずっとオニツカタイガーのスニーカーを履いてます(笑)
こんな感じで、フレディを知った事によって自分が知らなかった事を知ることが出来たという意味でも彼にいい影響をもらっているなと思っています。

僕はこれからも彼をずっとリスペクトし、魅了され、好きでいたいと思っています。

ご閲覧ありがとうございました。次回はフレディの色々な逸話を語りたいと思います。



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『フレディ・マーキュリー~孤独な道化~』
 フレディの周りの人々の証言をもとに書かれた、フレディのことがより深く知れる本。

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『MR.バッドガイ』
フレディのソロアルバム第一弾。後に他のQueenのメンバー達にアレンジされることになる『I Was Born To Love You』やQueenとはまた違ったフレディの曲達を聴くことが出来ます。

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『伝説の証 ~ロック・モントリオール1981 & ライヴ・エイド1985』 
伝説のライブと言われる 『ライブ・エイド』が収録されたDVD。20分という時間で全世界を魅了したQueenのパフォーマンスは必見。『ロック・モントリオール』も筆者最推しLIVEですので是非観てほしいDVDです。

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伝説のロックスター フレディ・マーキュリーってどんな人?


皆さんはロックスターと言えばどんな人を思い浮かべるでしょうか?
日本のみならず、世界には沢山のロックスターがいます。

僕はロックスターといえば『フレディ・マーキュリー』だと思っています。
彼は1978年に結成されたイギリスのロックバンド、Queenのボーカルでポピュラー・ミュージックの歴代の中で最も偉大なシンガーと言われています。
2018に公開された映画『ボヘミアン・ラプソディ』で名前を知った人も多いかと思います。

彼の制作した楽曲では先述の映画のタイトルにもなった”Bohemian Rhapsodhi”や”We Are the Champions”、”Don’t Stop Me Now”など、誰でも一度は耳にしたことのある名曲ばかりです。

では、この様な名曲を生み出してきたフレディとは、どういった人なのでしょうか?


フレディ・マーキュリーは出生名をファルーク・バルサラといい(本人はこの名前を気に入っておらずフレデリックと名乗っていました)、1946年9月5日にインドで生まれました。
その後現タンザニアであるザンジバルに移り生活していましたが、その後の幼少期を殆どをインドで生活しています。その事をフレディは話すことを避けていました。
1955年2月14日、当時8歳だった彼は親元を離れインドの西部にある英式学校に通う事になります。両親とは毎年1度の夏休みの間だけ顔を合わせていたそうで、そんな生活が10年以上続きました。
1963年、17歳になったフレディはザンジバルに戻り家族と生活していましたが、その翌年にザンジバル革命が起こり、彼は家族と共にイギリスに移り住む事となりました。都会に強い憧れが有ったフレディは家族に「イギリスに行くべきだ!」と強く言っていたそうです。

イギリスでの生活を始めたフレディは常に身だしなみを気にしオシャレも欠かしませんでした。美術に関心の有った彼は高校はロンドンにあるアイズルワーク工業高校に入り、その後はイーリング・アートカレッジという学校に通い卒業しています。
後にこの技術を生かしQueenでの衣装やレコードのジャケットのデザインを手掛けました。

フレディはイーリング・アートカレッジの同級生であった、ティム・スタッフェルという人物に出会い、後のQueenとなるスマイルというバンドに出会います。
彼はスマイルに強く惹かれ、卒業後他のバンドで活動しながらもずっとついて回っていました。
そして、ティムが脱退したことをきっかけにバンドにボーカルとして参加、バンド名を『Queen』とし、活動していく事になります。
そしてこの頃、名前をフレディ・マーキュリーと名乗る様になりました。


(続く)

「らっぴー」の伝説のロックスター、フレディ・マーキュリーを語りたい(1)

どうも。「かんりしゃ」です。
「スタッフの推し!!」第2弾「らっぴー」です。

「らっぴー」は、若手なので、queenはまったく世代ではありませんが、そういうことはあまり気にしないたちです。
自分にとって良いと感じるものは良い感じることのできる、好奇心と探求心がおうせいの方です。

そんな「らっぴー」の、推しブログ、楽しんでください。
「らっぴー」と共に、QUEENやフレディ・マーキュリーにも関心を抱いて頂けたらうれしいです。
よろしくお願いします。