ちゅんのMyseroof Album制作進捗日記(14)『音楽って、何者?』

Myseroof Albumとは…
Myself(自己)とProof(証明)とAlbum(音楽アルバム)をくっ付けた造語で、オリジナルの音楽アルバムを制作することによって、今まで生きてきた自分とその人生の存在を証明しようという計画のこと。




第14回。前回、『いろいろありすぎ①』と題して、雑多なことをダラダラ書いた訳なんですけども、見返したらそこまで雑多でもなかったのに加え、今回は『いろいろありすぎ②』ではなく、普通にテーマトークの回。行き当たりばったりど真ん中。蛇行運転を楽しむマインドでお願いします。



『音楽って、何者?』

「乃木坂って、どこ?」のシステムを大胆に採用した今回のテーマ。その名の通り、音楽というものが一体何なのかというのを改めて見つめ直す壮大な回(になったらいいな)。個人的にこの冬から春にかけて多くの刺激があり、それに伴って「音楽」というものを考える岐路に立ってたりしてます。んー、一体、君って何者なんだ?

音楽というものを科学するにあたって、先ず引き合いとなる楽曲を挙げたいと思います。『春泥棒/ヨルシカ』という曲です。ヨルシカというのは、ボカロP出身の作曲担当n-buna氏と女性ボーカリストsuis氏による音楽ユニットで、発表する曲たちのほとんどが動画サイトなどで信じられない再生回数を記録している令和世代のメガアーティストでございます。僕自身、ヨルシカも最近の音楽もあまり明るくなく(ボカロ界隈は学生時代よく聴いていました)、この春泥棒という曲も最近出会った訳なんですが、この曲を聴いてとても複雑な感情を抱いたので、今回はそれらを一つ一つ言語化していくことで、僕の音楽観紹介及び音楽というものの分析みたいなものをしようかなと思っております。項目によってはこの曲を少し否定的に解釈しているところもあるので、悪しからず……。




①「素敵〜」
まずはシンプルで肯定的な感想です。この春泥棒という曲は、アコースティックサウンドとバンドサウンドが美しく調和していて、曲調というか音楽性みたいな観点から見てもすごく僕の好みでした。また、この後の項目にも関わってくることなんですが、n-bunaさん時代のボーカロイド作品と比べてよりバンドっぽいアレンジになっているところも重要な変化かなと感じました。


②「これをボーカロイドが歌って欲しかったなぁ…」
まず、ボーカロイド及びボカロ曲というものについて簡単に説明しますね。ボーカロイドというのは人工歌唱ソフトでありまして、パソコンやらで音程を入力するとその通りのメロディーで歌ってくれたりするものなんですが、このボーカロイド(或いはDTM)の登場によって、それまで「プロアーティストじゃないから」「制作環境がないから」「自分は歌が上手じゃないし歌ってくれる知り合いもいないから」などの理由で諦めざるを得なかったクリエイターたちの命がたくさん救われたのです。そうして生まれた曲たちはまた多くのリスナーの命を救い、音楽のみならず個人個人の生き方としてもボカロというものが確固たるジャンルになっていきました。ただ、その先のステップアップを目指して、n-bunaさんは生声で歌うユニットを結成したと思われます。しかしそれは、ボカロやn-bunaさん自体に愛着がある人間からすると少し寂しい気持ちが芽生えるというか、「これをボーカロイドが歌って欲しかったなぁ…」とか思ってしまう訳です。僕自身、やっぱり生声には敵わないと感じる一方で、初音ミクこそが世界一のボーカリストだなとも思っているので、なかなか心中複雑なのです。


③「お金と人が介在しすぎ」
流通しているプロミュージックというのは、もう本当に本当にお金と人がたくさん関わっています。ギターひとつでウン十万、そのギターを繋ぐアンプでウン十万、その音を拾うマイクですらすごい値段、更にはミックスやらマスタリングやらに使う機材はもっとすごい値段でしょうし、スタジオ代だって勿論ありますし、一流のスタジオミュージシャンや録音エンジニアなんかを雇えばもう目が回って仕方ありません。この春泥棒がどれくらいの規模で作られていて、n-bunaさん本人がどこからどこまで演奏や制作に関わっているかは分かりませんが(一応制作裏話インタビューみたいなのを読んだりはしました)、素人がポチポチ自分の部屋でパソコンを叩いて作るだけの音楽とは、リスナーの多さも含めて比べ物にならないと言えるでしょう。そして、その最たる要素がMVです。この春泥棒はYouTubeにてMVが公開されていますが、そのクオリティが凄まじいのです。どうやら外部のCGアニメ制作会社が担当しているみたいなのですが、「これ一体いくらお金掛かってるんだ!?」と口から溢れてしまう程です。これだけお金と人と要素を経由していれば自動的にそりゃ良いモノになるだろうとか思ってしまいます(勿論それだけではないですが)。なんか流通曲に対して、こういうズルいなぁというか暴力的だなぁみたいな感覚がずっとあるんですよね。10代の頃にレーベルからオファーが掛かってデビューしたとか、幼い頃から家の中でクラシックやジャズが流れていたとか、そういうのもそうですし。音楽も人も人生も儚く脆いものです……。


④「原石の方が面白くない?」
先の段落でも述べたように、この春泥棒には多くの要素が介在している気がします。例えるなら、贅沢に磨かれたダイヤモンドでしょうか。それに対して、ポチポチ自分の部屋でパソコンを叩いて作られた曲は、ダイヤモンドの原石です(センスが無ければ原石ですらありませんが)。僕はこれらを比べた時、不確定で不明瞭な要素をふんだんに巻き込んだ綺麗なダイヤモンドより、単純で無骨である意味だらしないダイヤモンドの原石の方に、心惹かれる部分が大きいのかもしれません。映画監督であるマーティン・スコセッシは「最も個人的なことは、最もクリエイティブなことだ」という言葉を残しており、僕はこの考え方が自分にとって座右の銘のひとつなんですが、原石のままの方がよっぽど個人的と言えますよね。ボカロの良さって結局ここなんです。勿論、ボカロから巣立っていったn-bunaさんだからこそ、こういうことは血が滲むほど考えてはいると思いますが、やっぱり寂しいというか悔しい感じはします。時代も令和に突入して、音楽業界もどんどんアップグレードされてきていますが、曲によっては技術や文明が「大事なもの」を追い越してしまっていると感じるものも増えてきた印象です。音楽はどこから始まって、どこに辿り着くのでしょうか。この曲を聴いてそんな途方もない研究をしたくなってしまったのです。




とまぁひと先ず今回はこんな感じ。文字数も結構多くなってしまいました。この『音楽って何者?』ですが、まだまだ解き明かしたいことがあるので、ちょこちょこシリーズにしていけたらと考えています。ぼちぼちと、大体で……。そして、再三言及しているこのブログの視認性でございますが、「オープニングの文章はもう要らないかも」と思ったりしてます。それに加え、改行の取り方や括弧の使い方などももうちょっとシンプルにしたい気もしてます。んー、難しい。少しずつでも進んでいきたいところです。

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