「なんとなく」研究サークル

どうも。「かんりしゃ」です。
「ちゅん」の当事者研究の一環なんですかね。自分のことを考える機会、話す機会が欲しいというので、長期で来ている実習生さん→「カエル」と共に、いろいろと話し考える機会を設けました。
「ちゅん」だけが一方的に伝えるのも、こくりらしくないので、「カエル」にも自分のことを研究してもらいました。
いつもの記事よりは、少し長くなりますが、ぼちぼち見てあげてください。よろしくお願いします。


〇はじめに
こんにちは。ちゅん(スタッフ)とカエル(実習生)です。
カエルがこのこくりに来て何かに取り組もうとしたときに、カエルの「なんとなく子供と関わるような仕事をしたい」という思いと、ちゅんの「なんとなく創作したい」という2人の「なんとなく」が出会ったことから、それを研究の対象にしようということになり、「なんとなく研究サークル」の結成に至りました。
全6回のセッションを重ね、私たちの考えをレポートとしてまとめました。多少、堅苦しい表現もありますがご容赦ください。


セッションの様子をマインドツリー型で可視化してみました

↑「カエル」のマインドツリー

↑「ちゅん」のマインドツリー


それぞれのまとめ
カエル
・ぼんやりとした選択肢がある中で、これまでの経験や考えによってわずかに傾いた状態で選択を迫られたときに、「なんとなく」の考えが出てきたのではないかと考える。
・子供へのポジティブなイメージがある一方で、大人(社会)へのネガティブなイメージもある。それはこれまでの経験、取り入れた情報によって生まれたものなのではないか。
・実際まだ子供でいたい、けど、社会に出るため選択しないといけない。このような状況下で、自信を持ってこうしたいというのではなく、「なんとなく」がどうしても引っ付いてしまうのではないか。

ちゅん
・音楽やお笑いなどの創作に対してそれなりの素質を持って生まれ、その素質が家庭環境やお金によってより育まれた。また、そこからひとたび社会に出れば周囲とのギャップを感じる出来事が多く、それが人間に対する興味であったり承認欲求として顕現する。この“素質”と“承認欲求”の2つが数学のように掛け合わされ、今、「なんとなく」創作したいという強い思いを引き起こしているのではないだろうか。


全体のまとめ
それぞれのまとめから、「なんとなく」というスタートは同じであっても、全く異なったものであったことが分かった。カエルの「なんとなく」は受け身的であり、周囲からの影響が色濃く出ているが、その一方で、ちゅんの「なんとなく」は主体的であり、自分の素質や興味による影響が強いのではないかと考えた。
また、今サークル活動で行った「なんとなく」の追究というものは、いままで考えてこなかった領域に足を踏み入れることであり、それは2人ともに共通している感覚だった。つまり、「なんとなく」とは自分の行動や思考をとりあえず一旦片付けておいている状態と言えるのではないだろうか。そして、それらを数回のセッションを重ねることによって改めて見つめ直すことができ、自分自身の理解をより深めることが出来たのではないだろうか。


感想
カエル
なんとなくで済ませていた事を改めて考える機会というのは自分で設けようとしても難しいのではないかと思います。その中で、こくりでこのような機会を与えて頂いたことは自分を理解するうえで非常にありがたく、有意義なものだったのではないかと思いました。欲を言えばもう少し時間が有ればとも思いましたが、今回のちゅんさんとのやり取りを契機にこれからもなんとなくの奥には何があるのかという事に意識を向けて自分を理解して行こうと思いました。

ちゅん
こういう誰しもがスルーしたり認識し得ないものをあれこれ小難しく考えたりすることにとても興味があったので、今サークル活動はとても有意義に感じました。時間の都合により十分に研究できた訳ではないですが、「なんとなくを解き明かす」という大変大それた目標からスタートし、そこから何回かのセッションを経ることで、それなりの場所に着地させた感じはします。やっぱり、人間の感覚的な部分を解析するのは楽しいですね。また、似たような機会があれば頑張りたいです。

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