はじめに
どうもです。スタッフの「ちゅん」です。この春から、様々な出来事に起因して、生活環境や自身の価値観に少し変化が訪れています。簡単に言えば、「今までの常同的な生活や価値観を尊重しつつも、この機会に自分という世界を拡張してもいいかな」というマインドになりつつあるのです。それに伴い、この『自世界拡張プロジェクト』なるものを立ち上げることにしました。詳しくは、僕が今まであまり触れてこなかった内容やジャンルのエンタメ作品を職員さんに紹介してもらい、それらをインプットしたのち、こうしてこくりのHPの記事などを通じてアウトプットすることを考えています。このプロジェクト自体、これからどこに辿り着くかかなり未定ですが、当面はこの形式を足掛かりに始めてみようと思っています。
また、このプロジェクトは『ASDと〇〇 #3 ASDと映画』と連動しています。そちらでも、似たような経緯や詳細を説明しつつ、”映画”というものに限定して自世界拡張を図りながら、自分のことやその他あれこれを考えたり分析したりしています。是非、合わせてよろしくお願いします。
アウトプットたち
ⓐ「おすし」からの紹介 音楽アルバム
もしも生まれ変わったならそっとこんな声になって – Various Artistsのアルバム – Apple Music
職員「おすし」さんから音楽アルバムを紹介してもらいました。大人気ロックバンド、クリープハイプの曲を他のアーティストたちがカバーしている所謂トリビュートアルバムです。
僕はクリープハイプのみならず、この辺りのロックバンドをほとんど聴いたことがありません。正しくは、避けていると言った方がいい気がします。何だろう、僕が信じているロックンロールみたいなものとは違う方向性を持っている印象があるというか。なので、とりわけ2010年代以降に勃興してきたこういうメジャーシーンの中にあるバンド群は敬遠していました。我ながら全く失礼な話ですし、本人らも『社会の窓』でそのようなことには言及していますが、やっぱり少し受け付けない部分があるのは否めませんでした。
しかし、ということは絶好の自世界拡張の機会です。オススメされないとなかなか聴かないものに触れて、自分がどう感じ、どう影響を受けるか。何とも言えないドキドキを抱えながら、いざアルバムを聴いてみました。
結論から言うと、やっぱりあんまりハマりませんでした!(笑)
まずそもそも、クリープハイプという音楽をカバーバージョンから聴いてしまった齟齬もある気がしますが、それでも何かこう、うーん。『憂、燦々』や『ABCDC』は少し琴線に触れる部分もありましたが、これはボカロ畑出身のヨルシカや個人的に尊敬している川谷絵音にそれぞれ共鳴して惹かれているだけかもしれません。
そして、仮に「これ良いな」と思ったとしても、そこから”日常的に聴く音楽になる”というのは、全く別の話なのかもなとも感じました。音楽そのものに留まらない革命的な巡り合わせも必要というか。だから、自分が今まで大事にしてきたロックンロールたちと何が違うのかと訊かれたら、それはそれで返事に困るんですよね……。色々とごちゃごちゃは言えるだろうけど、とどのつまりポジショントークだしなぁ。それでも確かに、”何か”が違っているという手応えもあったりして、曲を聴きながらぼんやりと考え込んだりもしました。
そうして、ひと通りこのアルバムを聴き終わったあと、少し気になった『ただ』だけクリープハイプ本人らのバージョンを改めて聴きました。全くの外野からの意見で恐縮ですが、やっぱり尾崎世界観の声じゃないと全然ダメだなぁと感じました。ロックって音楽性というより生き様だと思いますし、例えばこの『ただ』に出てくる”今日でやめてやるよ クソ クソ クソ”という歌詞だって、本人が歌ってなんぼというか。勿論、そんなことも加味された上でそれでもトリビュートアルバムを作る採算がクリープハイプというバンドにあることは重々承知ですけれど、うーんそういうことを言いたいんじゃなくて……。
また、この曲に限らず、内省的だったり自虐的だったりメタっぽい歌詞もクリープハイプには多く見受けられ、尾崎世界観が自分、バンド、音楽、その他色んなことを横断しながら、組んずほぐれつ活動してそうな様をかなり勝手ですが受け取りました。「すげぇな」と思いながら、それでもやっぱりハマらんなと思いながら、最終的には結局”音楽”って不思議だなという馬鹿デカい島に漂着したことによって、このアルバムとの出会いは一旦幕を閉じました。
ⓑ「するめ」からの紹介 書籍『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
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職員「するめ」さんから紹介してもらった、お笑い芸人オードリーの若林正恭氏によるエッセイ調の書籍です。日本とは真逆の社会を求めてキューバに旅立った彼が、革命の余韻漂うカリビアンな世界と何より自分自身の心の中を旅する物語でした。
この本に関してはあまり内容について述べると言うより、僕自身とオードリー、そして若林さんへの思いをベースにアウトプットしておこうと思います。
僕は10代の間、深夜ラジオにどっぷりでした。詳しく言えば、オールナイトニッポンやJUNKなどをよく聴いていたのですが、その中でも象徴的だったのが『オードリーのオールナイトニッポン』でした。当時から人気は凄まじく、今ではもう東京ドームでイベントを行うほどのお化け番組になりました。
また、若林さんは南海キャンディーズ山里さんと『たりないふたり』というユニットを組んでいました。2010年近辺の二人が抱えていた、繊細で捻くれたキャラクターを前面に押し出していくスタイルは、やがて数年にわたってテレビ番組として放送され、ゆくゆくは『だが、情熱はある』という大ヒットドラマにまで繋がります。そういう二人のパーソナリティに熱心に共鳴していたというほどでもないのですが、まだ右も左も分からない僕という少年は、二人が繰り出す異質のお笑いに夢中だったと言えます。この10年少々で二人を取り巻く環境は大きく変化し、今ではお笑い界、テレビ界、ラジオ界を代表する当然のスターになりました。今の二人はもうここにはいないと思いながらも、時々DVDを見返して、二人があの頃の感性で身を削りながら喋っている様に少し安心したりもします(山里さんは今でもまだここにいそうな時もありますが……笑)。
そんなこんなでオードリーがスターの階段を登っていく間に、僕は僕で色々と経験を重ね大人になり、深夜ラジオ自体もほとんど聴かなくなってからは、オードリーにもあまりこだわらなくなりました。
そこから幾年経ち、それでもこうして職員するめさんを通じて、「こういう世界の広げ方あるぜ」とでも言うかのように若林さんがまた目の前に現れたことに、貴重でありがたいことだなと感じました。読むなら今しかない、な。
と、ようやく内容に触れるのですが、ごく手短に。追加されたモンゴル編/アイスランド編も含めて、月並みですが、本当に色々とよく感じ考え生きている人なんだなと再確認しました。世に思われているイメージ通りのこと、真逆のこと、大きなこと、細かいこと、理性的なこと、野性的なこと。人間の中にごく当然に広がる宇宙を垣間見たような気がします。こうやって批評すること自体、解釈を急がれたりラベルを上塗りされたりといった、若林さん(何なら僕も)がずっと悩んできたものの一部を再生産している感じがして恐縮なのですが、やっぱりそう思いました。また、社会や人間に迫る豊かな示唆も幾つか含まれており、”見えないもの”について考える、良いきっかけになる書籍だとも思います。
あと、副産物として書籍というものの性質を再確認しました。エッセイ調の文章を例えばSNSなんかで投稿してしまうと、主題に辿り着いていない部分に反射的な批判やレッテルが飛んできたりして邪魔が入ることもありますが、書籍の場合だと基本的に著者と読者の1on1なので、どっぷりと慎重に相手の言い分を受け取ることができます。ただこれは、一方的に相手の言い分を浴びせ続けられるという暴力性も秘めてるので、そういう部分が今まで僕は苦手だったとも言えそうです。何というか、奥が深いですね。
ということで、結局アウトプットが内向き且つナラティブすぎましたね。オードリーに対してこういう論調は、昨今のお笑いファンからは煙たがられそうですし、若林さん本人も「うるせぇ」と言いそうですが、まぁそれでも許してちょんまげ。少年期の大事なひとつのアイデンティティだったもんで。
ⓒ「ちくわ」からの紹介 映画『チャーリーとチョコレート工場』
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職員「ちくわ」さんからの紹介、『チャーリーとチョコレート工場』です。事あるごとに金曜ロードショーで放送されている印象の言わずと知れた大ヒットファンタジー映画ですが、それでも観たことはありませんでした。 一体、どんな内容なのでしょう。以下、ネタバレ含む感想というか幾つかのアウトプットです。
やっぱりまず感じたのは、外国特有の会話におけるユーモアとテクニカルな部分でした。日本で日常会話をしている分には、まず出会わない言葉の裏や行間の勝負たちは、結構ポジティブな刺激になりました。登場人物たちの台詞もなかなかクリティカルで、特にチャーリーの祖父母4人が時々挟んでいた言葉たちは、少し胸に残るものもありました。
次に、「この感じの映画で結構説法なんかい」という……。色々とやんちゃな子どもたちが諷刺的に工場見学から脱落していくわけですけど、ここまで分かりやすくオムニバス的な構成じゃなくてもいいのでは?と思いました。折角のファンタジーが勿体ないような。まあ、映画自体の対象がやや子ども向けだったのかもしれないですけれどね。また、あれだけひどい目に遭ったあとも子どもたちは全く改心していませんでしたが、そこまで筋金入りなら最早クールな気さえしました。
そこから終盤にかけては、ウォンカ自身の問題やトラウマにクローズアップしていくことによって、全体的なバランスというかオチに向けてのまとまりみたいなものを受け取りました。ただ、この最後の部分は原作とは結構異なっているようで、大衆映画として成立させるためにはこういう演出的着地が必要なのかもなと勘繰ってしまう部分でもありました。
そして、全体を通して丁寧且つ説明的なストーリー構成に大変興味を抱きました。主人公のチャーリーとその家庭環境、ウォンカのチョコレート工場の存在や実体の謎など、冒頭30分ほど掛けて謂わばプレゼンのように設定説明がされており、順序や論理みたいなものを好む僕にとってはとても分かりやすくスッと入ってきました。ただその分、創作における余白の趣みたいなものは少し失われているとも言えるのかも。その後も、よくよく考えれば工場をただただ紹介していくという作業的な流れを、ここまで映画として魅せている技術にも感動しました。
総じて、かなりメタ的な視点で観ることになったわけですが、科学に依存しないウォンカのファンタジーな哲学には惹かれるものがありました。そして、それとは反対に、直接的間接的問わず”家族”というリアリズム或いは常識みたいなものも強く描かれている気がして、ウォンカ自身もその狭間でずっと揺れていたのかもしれません。最終的には、チャーリーとウォンカが共同経営者になることで素敵なバランスを手に入れたと言えますが、やっぱりパーフェクトにクレイジーなウォンカもカッコよかったなとも思いました。
ってか、拾ったお金で金のチケット当てたのはええんかい。その後、一切触れられなかったけど……。
おわりに
というわけで、新たなプロジェクト、いかがでしょうか。このプロジェクト、或いは『ASDと〇〇』を通じて、本記事の冒頭で述べた”自閉にまつわるエトセトラ”(PUFFYさん、借ります)のリアリティを少しずつ詳しく補強していけたらと考えています。大きな山であることは間違いないですが、これからも細々とやっていく予定ですので、興味を持っていただけたら嬉しいです。では。


