about5/7 「ちゅん」の場合

 最近、スピードについてよく考えます。歩くスピード、眠るスピード、喋るスピード、食べるスピード……。それらは、言わばその人をその人たらしめている重要で当然なひとつひとつのパーソナリティであり、その重なりはやがてその人が暮らしている生活、感じている世界そのものに繋がっている気がします。

 5/7(=週休2日制)についての基本的な意見やスタンスはイントロで書いた通りで、あとは細かい違和感やズレの具体的なエピソードを、この「ちゅん」の場合で補完しようと考えていました。結果的に、そういったことはあんまり盛り込めませんでしたが、なんとか僕なりのAbout 5/7を表現するところには落ち着いたかなと感じます。

 ではまず、初めの取っ掛かりとしてAIの話を引き合いに出そうと思います。

 こないだ、こんな興味深い話に出会いました。

 戦後の農村における家事労働では、大変な作業たちの中でも、”かまどの火の番”をしている間は誰にも文句を言われずにゆっくりできる半休憩時間のような立ち位置だったそうです。しかし、そこからガス機器が発達したことにより、その安らかな時間は取り上げられ、多くの反発が生まれたとかなんとか……。

 この話を現代風に考えます。

 これから先、今まで人間が行っていた事務的で単純な仕事はどんどんAIが肩代わりしていくと予想され、そうなると、残った複雑でエネルギーが強く必要な仕事はどんどん生身の人間が行わないといけないことになる可能性が出てきます。即ち、結果的に仕事の強度は上がることになり、求められる目標や基準はどんどん青天井に……。人々が疲れ果てる未来が待っているかもしれません。

 資本主義って、人間が休んだり疲れたりすることを考慮に入れていないので、余った時間にはどんどん他の仕事を詰め込もうとしますし、人間ひとりひとりの様々な脈絡やグラデーションをゆっくり解釈していく時間やコストを払える余裕もないので、どこかで立ち止まれない限りは、どんどんこういった状況が加速していく傾向にあると感じます。

 また、発達障害関連でよく語られるテーマとして、できるとできないの間に”できるけどすごく疲れる”が存在する、というものがあります。この考えは、発達障害のみならずとても重要で当然なことだと思いますし、それぞれの人間を”できるorできない”の二元論で象るのはあまりに暴力的ですよね。

 僕も学生時代、たまたまタイミング的にすごく頑張ってテストで良い点を取った際に、「やればできるんだから、これを普通にすれば国公立に行けるよ」と言われたりしました。僕はその時期から明らかに体調を崩していたり、様々なものについていけなかったりしていましたが、そんなことはお構いなしにテストの瞬間的な結果だけにカーソルを合わせられ、そう告げられました。なかなか、それぞれのスピードって伝わらないんですよね……。


 だから、”枠組み的な時間”や”結果的な能力”だけで語らずに済むように、もっと『はたらく』ということに色んな観点や要素が増えればいいなと思います。その分、色んなことが複雑になりパズル化する部分も増えるかもしれませんが、人間も環境も同じものなんてないので本来そういうものだと思います。段々そんな考えも、この社会に芽生えてきている気もしますが、やっぱりまだまだ全然な気もしています。

 余談ですが、ちょうどこの記事を書いている時期は、桜が咲くか咲かないかの頃です。調べたところ、一部の桜は人間同様に80年ほどの寿命だそうですが、その中で(主に人間に)あれやこれや色んなスピードやシステムを押し付けられてるのかもなと感じました。

 いつ咲くだのいつ散るだの語られて、散ったあとは見向きもされずに、でもそんなこととは関係なく、ただひたすらに毎年毎日桜のスピードを生きているのだとすれば、本当に頭が下がる思いです。桜からすれば、そんなことを言われることすら鬱陶しい押し付けかもしれませんが、やっぱりそんなことを思いました。

 どれも簡単に叶うことばかりではないですが、僕自身の行いも含めて、少しずつ何かが変わっていければいいなと願うところです。

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