#4 「ちゅん」の『自世界拡張プロジェクト』

はじめに

 どうもです。「今までの常同的な生活や価値観を尊重しつつも、この機会に自分という世界を拡張してもいいかな」のマインドで、色んなインプット&アウトプットを試みているこのプロジェクト、第4回です。今回はやや特別回という感じで、写真がいっぱいですよ。

ⓐ「ちくわ」との共同プロジェクト 『スーパー・ネイチャー・ツアー』

 「ちくわ」さんとの共同プロジェクトも今回で最終回になりました。最後はドカンと行こうという感じで、近所の「大井ふれあい広場」という公園に、自然や運動などの感覚的体験を求めて繰り出しました。どうやら、下水処理施設の屋上を公園として開放している場所のようです。

 元々、僕は合理/論理/理性などの中で暮らしすぎているところがあり、この機会にそれらとは対照的な体験を得ても良いんじゃないかという脈絡で、今回の活動が決定した次第です。その名もスーパー・ネイチャー・ツアー!(?)

 ですから、このアウトプットもできるだけ文章量を抑えめにして、そういうメタ的なものに搦めとられないアプローチを心掛けました。

↑出発。大きな道路に沿って、自転車を漕ぎます。天気は良いですが、寒いぜ……。


↑道中で見つけた小さな公園。滑り台に全てを託しすぎている。


↑まだ道中。高架下、補修の構造がカッケェ。


↑もう着くというところで、小さな公園2に遭遇。やっぱり滑り台に全託し。


↑やっと公園に到着!しかし、自転車を停めるところがいまいちピンと来ない事態に……。「北駐輪場」の看板も草むらに身を隠していました。


↑何とかまだピンと来る駐輪場を探して停めたのち、公園に繋がる階段の方へ。こんな無骨な基地みたいな場所から上がるんですか!?


↑半信半疑で階段を上ると、なんと「ふれあい広場」の看板が真正面からお出迎え!


↑ひ、ひ、広い〜〜!!空が近い〜〜!!



↑色々と驚きながらも、持ってきたフリスビーで運動体験。風が強くて苦戦しましたが、面白かったです。あまりの広さと無人さに、滅亡した世界で唯一生き残った2人が暇つぶしで遊んでいる気にさえなりました……。



↑太陽光発電の看板、オフェンシブな木の枝、遊ぶ人任せすぎる広場などに癒されたあとは、公園から降りて外周にある散歩道へ。



↑冬なので花の装いは控えめでしたが、春にはこの沿道に桜が咲くそうな……。

 そんなこんなで満足した僕たちは、自然たちに別れを告げ、またせっせと自転車を漕いで帰路に就きました。

おわりに

 という感じで、大変楽しいツアーでした。自転車を漕ぐのがかなり疲れましたが、そういう身体的なフィードバックも含めて良い自世界拡張になった気がします。これで「ちくわ」さんとの共同プロジェクトは終了ですが、この自世界拡張プロジェクト自体はあと数回更新しますので、もうしばらく是非に。

 以下、 「ちくわ」さんのアウトプットも載せておきますね。

***

ASDとVOCALOIDへのアンサー

どうも。「かんりしゃ」です。
壮大な情報量の、「ちゅん」の『ASDとVOCALOID』へのアンサーです。
まず、この量や文章感が「ちゅん」らしくてよいですよね。

「点線を実線に」が、今回の「ちゅん」のテーマだったように思います。
VOCALOIDという音楽のあり方は、「ちゅん」にとっては「実線感」を得やすいものなのでしょうね。
そうすると、この「実線」って何なんやろうところを「かんりしゃ」なりに検討し、アンサーとします。

「かんりしゃ」が推察するに、「ちゅん」は音楽のアイデアや、それに留まらず心にあるかたちにならない何かをたくさん抱えているのでしうね。
それはかたちにならず、誰かに(自分でも)みてもらえないので、あるのかないのか、何か自分でも判然とせえへんのやと思います。
けど、何かぐるぐるしたものやモヤモヤしたもの、熱っぽいものが「ある」のは確かなのでしょう。
判然とせえへんけど、確かに心の中にはあってそれを出したい感じ!
人によってはそれらを「衝動」と呼ぶのかもしれません。
それが何か外側にかたちとしてあらわれた時に「実線感」が得やすいのでしょう。

下記蛇足。
同時に、「点線」を抱えているその人の「からだ」は、まがうことなく「実線」です。
からだはその人のからだとして完結しており、点線ではありません。
けど、自分のからだと自分のとして充ちたりて感じること、このかたちとしていつくしみながら受け入れることは、なんだか難しそう。

臨床心理学は、この実態としての代替不可の各自のからだに、点線的なこころや思いとのアンバランスさをみつめる学問と言えそうです。

んー、アンサーのアンサーが必要そうな、ややこい文章になりました。以上!!

4 ASDとVOCALOID

 どうも、「ちゅん」です。気づけば、もう第4回。手応えがあるようなないようなで頑張っています。
 今回のテーマは『VOCALOID』。僕の大きなルーツの一つであるVOCALOIDは、僕の生き方さえも変えてしまいました。


1.点線が実線へ
 いやいや『VOCALOID』って何やねん、と。そうですよね。僕もしっかり詳しくはないのですが、ちょっと概要というか簡単な歴史みたいなのをまず解説したいと思います。

 VOCALOID(略:ボカロ)というのはヤマハが開発した音声合成技術、およびその応用製品等のことでして、広義にはいわゆる、『初音ミク』とか『鏡音リン』とかの人工歌唱ソフト/キャラクターのことですね。これらが開発されるまでも、平成初期の頃からパソコン上で音楽を作るDesk TopMusic(DTM)という制作手段は少しずつ開発が進み確立されつつあったのですが、2007年に初音ミクという圧倒的なアイコンが登場してからは、その間口が一気に広がったように感じます。

「MV」 千本桜 WhiteFlame feat 初音ミク
①『千本桜 feat. 初音ミク / 黒うさP』(2011年)

↑おそらくVOCALOIDで一番有名な(気がする)曲。

 インストも素晴らしい音楽の在り方だと思いますが、やっぱり歌が入っている方が多くの人に届きやすいですよね。ただ、音楽を作りたい人の全てが歌を上手く歌う技術と環境があるとは限りません。そんな、「作りたい曲があるのに」、「浮かんでいる曲があるのに」、という想いを救ったのがVOCALOIDでした。クリエイターの魂が籠もった歌をVOCALOIDは代わりに歌い上げ、その革新とカルチャーは瞬く間に多くのリスナーを生み出すことになります。

 それまでの音楽スタジオに入り浸るような制作手段から解放され、クリエイターたちはワンルームのパソコンからこっそりでありながらもだからこそ熱心に曲を作ることが可能になりました。それまでは社会にそんなもの存在しないとされていたアイデアの芽たちが、どんどんVOCALOIDの力を借りて花開き、”点線の音楽が実線に”なったのです。

Chinozo ‘グッバイ宣言’ feat.FloweR
②『グッバイ宣言 feat.flower / Chinozo』(2020年)

↑僕はあんまり好きではないのですが、近年かなり流行った曲。驚異の1.4億回再生。

 だから、僕にとって初音ミクに勝る歌姫なんて居ません。彼女以上にクリエイターとリスナー両方の命を救った歌手が居るでしょうか。



2.VOCALOID曲が持つ音楽性の分解
 ここからはVOCALOID曲が持っている音楽性みたいなものを分解してみようと思いますよ。何となくザザザーっと要素を羅列していったあと、既存の曲を紹介しながら照らし合わせてみたりもします。とは言え結構主観が混ざってるので、悪しからず。

[1]ボカロ性
 おそらくパブリックイメージとして定着してるであろう、所謂ボカロっぽさです。早口で捲し立てたり、難解な言葉を使ったり、世界観を強く打ち出したり、ブラックな表現を使ったりなど、言ってしまえば中高生が喜びそうな音楽性です。

[2]平等性
 ハイブランドの機材、業界的なコネクションなどがなくとも、曲を制作することができ、それが成立すると言った要素です。

[3]天才性
 メジャーシーンの中に溶け込むには、才能以外の外交的な能力もある程度求められたりしますが、ボカロ界には才能一点突破の天才がゴロゴロいます。

[4]削命性
 ボカロシーンには、良くも悪くも追い詰められている人が結構居ます。そんな人が等身大で綴った曲は多くのリスナーの胸を打つことがよくあります。「曲を書かないと気が狂いそう」といったような命を削っているかどうかを、変な言葉ですが削命性としました。

[5]洗練性
 以下、3つは結構似ていると思いますが、一応分けてみました。
 メジャーシーンの音楽は、音の数が多かったり、ミックスの技術が高すぎることによって、逆に音と音の境界が曖昧で実体が掴みづらいこともあったりしますが、ボカロ界では等身大ですっきりした曲にも出会えます。シンプルイズベストってやつ?

[6]原石性
 これはなかなか説明しにくいですし、ただの僕の思想かもしれません。要は、色々と技術を覚えたり権威的な環境に囲われたりして記号的な宝石に収まってしまうより、粗っぽくてその人自身が見え隠れする原石のままの方が良くない?みたいなことです。どうしても、磨かれていく過程で削ぎ落としてしまっているものに目が向いちゃうんですよね。

[7]純粋性
 ボカロシーンには、曲をヒットさせて生活をしようなどといった音楽にとってある意味邪念とも言えるような魂胆を全然持ってない人もちらほら居ます。純粋に音楽延いては自分というものを突き詰めている曲は聴いていてカッコ良いです。

 おそらく一般の方がボカロと聞いて思い浮かべるイメージは[1]のボカロ性がほとんどではないでしょうか。ボカロシーンにはボカロっぽくない曲もたくさんありますし、何なら僕はそっちが本流というか本質的な気さえしてます。ということで、これら色んな性質を持った曲たちをいくつか紹介したいと思います!


Kikuo – Sea Is
③『Sea Is feat.初音ミク / Kikuo』(2015年)
[2]平、[3]天、[5]洗、[6]原、[7]純あたり?

↑ちょっとこの曲は凄すぎますね。凄すぎて意味わかんないので、是非聴いてみてください。


鏡音リン / スプリンクル(Sprinkle)
④『スプリンクル feat.鏡音リン / ライブP』(2014年)
[5]洗、[6]原、[7]純あたり?

↑もろもろ編曲のクオリティなどかなりプロレベルですが、商業的ないやらしさがなく、美しくまとまっています。これだけ素晴らしい曲でもあんまり有名ではなく、ボカロシーンではこういう現象がよく起こります……。


wowaka 『裏表ラバーズ』feat. 初音ミク / wowaka – Ura-Omote Lovers (Official Video) ft. …
⑤『裏表ラバーズ feat.初音ミク / wowaka』(2009年)
[1]ボ、[2]平、[3]天、[5]洗、[6]原、[7]純あたり?

↑VOCALOID曲の金字塔。米津玄師もwowaka氏の曲を聴いた時、 あまりの衝撃にご飯が食べられなくなったそう。ボカロっぽさの祖とも言えるwowaka氏ですが、2019年に急性心不全により亡くなりました。


siinamota / 椎名もた – Goodbye Everyone / さよーならみなさん
⑥『さよーならみなさん feat.GUMI / 椎名もた』(2015年)
[1]ボ、[2]平、[3]天、[4]削、[5]洗、[6]原、[7]純あたり?

↑椎名もた氏も本当に天才だったと思います。時に危うさを秘めながらも精力的に曲をリリースしていた中、2015年に20歳の若さで亡くなりました。そのバックボーンに何があったのかは分かりませんが、今でも椎名もた氏のことを思い出して胸が切なくなります。



3.VOCALOIDに対しての所感
 ここまで色々と僕なりにごにょごにょ分析してますが、ここでVOCALOIDというものに対しての個人的な所感を記しておこうと思います。偏った感覚を垂れ流すことになりそうですが、VOCALOIDだけに留まらない大事なことにも繋がりそうな気がしています。

 さて、どこを切り口にしようかなといった感じですが、まず、僕の敬愛する『みきとP』というボカロP(今更ですが、VOCALOIDを使用して曲を作るアーティストのこと)について。僕がVOLALOIDを聴くようになったきっかけの人で、大きく影響を受けました。


みきとP 『 僕は初音ミクとキスをした 』 MV
⑦『僕は初音ミクとキスをした feat. 初音ミク / みきとP』(2013年)

↑この曲を聴いて雷が落ちました。「VOCALOIDでこういうロックをやっていいんだ」と。

 この曲自体が、曲を作るということとVOCALOIDのことを美しく描いていますね。このコラムで言いたいことのほとんどのような気もします。何にせよ、0が1になりそれが膨らんで実体を持つということは凄いことであり、凄いことでありながらもごく当然にそれを行うことができる環境がもっとあればいいなと感じます。

そこからみきとPはほぼ順調にキャリアを重ね、2022年にはこういう曲を発表します。


みきとP『 E S P R 』MV
⑧『 E S P R feat.星尘 infinity / みきとP』(2022年)


 シャープなセンスで非常にカッコいい曲ですね。この曲はレコーディング風景のドキュメント映像も併せて公開されており、そこでは一般的に流通している曲とほとんど遜色ない規模感で制作されていることが窺えます。楽器系はプレイヤーの人にある程度任せつつ、みきとPも監督に近い立場で調整に加わっていく形です。この映像を初めて観た時、プロたちの洗練された仕事に感動しつつも、「いやVOCALOIDでここまでやっちゃうんかい」という疑問は拭えませんでした。

 みきとPは元々バンド畑出身の方なので、当初からどれくらいDTM全開の制作環境だったかは分かりませんが、アーティストとしてのキャリアを積んでいく中で仲間と出会い、よりハイクオリティな制作環境を志向するようになっていったという流れは少なからずあると思います。勿論それで全然構わないんですが、一方で「そこまでしてVOCALOIDに歌ってもらう意義って何なんだろう?」とも感じるんです。これほどの環境を構築できるのであれば、優秀なボーカリストにもオファーできるでしょうし、実際に生身の人間に歌ってもらっているバージョンもあります。どれだけ職業ミュージシャンとして大成しても、VOCALOIDへの愛は変わらないという表明なのかもしれないですけど、境遇上もうVOCALOIDを使う妥当性がないのにノルマ稼ぎとしてVOCALOIDを使っているのであればそれはそれでどうなんだろうというか……。まあこんな感じで、すごく嬉しいよう
な、すごく寂しいようなで複雑なんですよね。曲自体は超カッコいいので尚更。

 こういう「VOCALOID(にこだわること)とは何なのか」みたいなものにドデカい一石を投じたのが、ハチ(米津玄師)の『砂の惑星』でしょう。


ハチ – 砂の惑星 feat.初音ミク , HACHI – DUNE ft.Miku Hatsune
⑨『砂の惑星 feat.初音ミク / ハチ』(2017年)


 新進気鋭のボカロPからスタートし名を上げたあと、段々と本人名義の活動にシフトしていた米津玄師が、突然”決別”ともとれる内容のVOCALOID曲をアップしたのです。実際は、マジカルミライというVOCALOIDのイベントのために米津玄師が書き下ろした曲でして、本人も色々考えた上で制作したようです。
 ボカロ界を”砂の惑星”に例え、”あとは誰かが勝手にどうぞ”という歌詞を筆頭に、彼なりの(おそらく)激励が描かれたこの曲は大きな議論を呼びました。

 細かいところに関しては一旦省きますが、VOCALOID使用に対しての明確な表明を行ったのは、形はどうあれ米津玄師の最大限の愛だったように感じます。こうしてある意味でピリオドを打つことも誠実でしょうし、変わらずにずっとVOCALOIDを使うことも誠実でしょうし、解釈は分かれますね。


 とまあVOCALOIDに託しているものがそれぞれ異なるんです。カウンターカルチャーとして始まった歴史を汲んでいる人もいれば、シンプルにひとつの楽器的アプローチとしている人もいて様々です。

 個人的に僕は、ボカロシーンが潤ったり、そういうアーティストがバンバンお金を稼いだり、メジャーシーンの中で受け入れられたりみたいなことは正直どっちでもよくて、曲というものを作りたい人が実際に作ることができる環境が維持されればそれでいいかなと思ってるんです。チャプター1で触れた”点線が実線になる”みたいなことはそういうことで、僕にとってはそこに「VOCALOID」というものが在ると思っています。まぁこれも様々ですね。



4.ASDとVOCALOID

【巡音ルカ】ダブルラリアット【Double Lariat】【HD】
⑩『ダブルラリアット feat.巡音ルカ / アゴアニキ』(2009年)

↑本当に素晴らしい曲です。

VOCALOID自体に関しては、チャプター3で大体言えました。ここからはどうASDと繋げようかなと言ったところですが、やっぱり”点線が実線になる”を深掘りすることになりますかね。

 僕(/ ASD者)は表情や言動の顕現が比較的弱い場合が多く、また変化や決断に多大なるコストがかかるために人生に於いてのキャリアをずんずん押し進めていったりすることもあまりできません。その結果、外側/社会からは「何もない」と観測/結論付けられることもしばしばです。傍から見れば、「何も表さない(ように見える)」「何もしていない(ように見える)」のでその評価になることはしょうがない気もしますが、本来は全然そんなことないんですよね。これはASDに限らず、社会的マイノリティの人たちにも当てはまることのような気がします。

 その中で、「いやいやあるんやで」と示すことができるもののひとつが音楽だったりしますが、この音楽でさえも社会的階級やコネクションと連動しているためになかなかスムーズではありませんでした。そこから時代と技術は進み、市井の僕たちにも少しずつ作曲みたいなものが身近になってきました。実際はDTM環境を整えるためにも多額のお金がかかってしまうので、そういうところからまだまだ脱却できてないわけですが、少なくとも以前よりかは平等に近づいたと言えそうです。
 そういう見る角度を変えたり環境が整備されたりすることによって、「ない→ある」になるという考え方の根幹/象徴が、僕にとってVOCALOIDなんですよね。あの日、VOCALOIDと出会ってからずっと、じんわりと自分の中の大事なフィロソフィーになっていきました。まあもっと言えば、その前段にある「そもそも何もなかったらダメなのか?」という大きな疑問もあるんですけどね。


 少し逸れますが、こくりのインタビュー企画『MuSuBu 第1弾 石田卓也さん』

に於いて、心理シの石田先生も似たようなことを仰ってくれています。
「ある」ということの根拠を、「常識的に確固たる生産を順調に続けている」ということのみに限定してしまうと、多くのものが見えなくなってしまうように思います。

 そしてここから更に発展させれば、「現実」って何なんだろう?というテーマに飛躍します。例えば、個人の頭や心の中だけにある思いや考えは、実際に外側へ向かってカタチ化されないと存在していないのでしょうか?

 そして、そのカタチ化も現状の社会がどれだけサポートしてくれるかによって難易度が変わり、そうして生まれたカタチを評価する時でさえも現状の社会に浸透している暫定的な規範や常識に照らし合わせて行われるでしょう。

 かなり極端でデカい話になってきてはいますが、何にせよ、何が「現実」で、何が「存在」で、何が「あって」、何が「ないか」、なんて一概には言えないのでは?ってことです。これらの話は結構「障害」みたいなものにも関わってくるのですが、流石にデカすぎるテーマなので今回は一旦ここで筆をおくことにします。

 ということで、本当に長いコラムをお送りしました。回を追うごとに分量が増えてきており、これは良くも悪くもですね……。ただ、毎日ありのまま生きているだけなのにこれだけインプット/アウトプットが膨れ上がってしまうということにも、僕(/ASD)の特性が表現されているとも思うので、そもそもそういう狙い/コンセプトだったりします。
 次回か次々回ぐらいがラストですかね。変わらずぼちぼち頑張ろうと思います〜。

こくりで一緒にはたらきましょう

どうも。「かんりしゃ」です。
2月も今日で終わり。まさに年度末ですね。

年度がかわるからといって、特に何かがあるわけではないのですが、けど何かやっぱり新鮮なものですよね。
現在、こくりでは一緒にはたらくスタッフさん(いわゆる利用者さんのことです)を募集しています。
春の新生活、こくりではたらいてみませんか?

こくりのことを改めて知ってもらおうと、3月に何回か、こくりでのはたらき方について、紹介していこうと思います。専用のページをつくるかも?
よい人にはたいへんよい事業所と自負しています。合わん人は合わんやろうけど。
当たり前ですね笑。

お楽しみに!よろしくお願いします。

カタシモワイナリーにいきました

どうも。「かんりしゃ」です。
2月も後半、もうすぐ年度末ですね。
何か気持ちもせわしなくもありますが、何をそんなせわしなくなる必要があるのか。落ち着いて過ごそう。

今日は、ぶどうの収穫体験でお世話になっている「カタシモワイナリー」さまへ、見学&試飲会にいきました。


ぶどうの歴史を学びました。
明治の頃、ぶどうは、毎年できるものではなく、いろんな条件がそろえばできる「幻の果物」だったそう。
だから大変高価なものだったそうです。

そのため、政府が国の国力をあげるために、ブドウづくりに着手したそう。
大阪がその土地の候補に選ばれました。
そんな大阪には、「幻の果物」のぶどうを、毎年きちんと栽培できる知識と技術を要した「おっちゃん」が6人いたそうです。
その6人の力もあり、柏原地域は日本一のぶどうの産地になったそう。

おもろい話、つくる人がつくれば、めっちゃおもろいドラマになりそうな話が満載でした。

ありがとうございました。

#3 「ちゅん」の『自世界拡張プロジェクト』

はじめに

 ということで、第3回。「今までの常同的な生活や価値観を尊重しつつも、この機会に自分という世界を拡張してもいいかな」のコンセプトで、新しいものをインプットandアウトプットしていますよ〜。


ⓐ「おすし」さんからの紹介 映画『すずめの戸締まり』

 職員「おすし」さんから、新海誠監督の大ヒットアニメーション映画を紹介してもらいましたよ。新海作品は『すずめの戸締まり』どころか、『君の名は』『天気の子』あたりも全く観たことがなかったので、これは良い拡張のような気がします。ということで、以下ネタバレ含むアウトプット。

 まず、映画としての初速の速さに良くも悪くもびっくりしました。あっという間に鈴芽と草太が出会って、あっという間に惹かれ合って、あっという間に世界に問題が起きて、あっという間にドタバタロードムービーへ。「とにかくまず世界観へとお連れしますんで付いてきてください」といった感じで、ここは結構好みが分かれそうだな〜と。 ただ無理やり勘繰れば、序盤でグッと掴まないと作品/興行として成立しにくいという側面もあるんでしょうし、最初から何もかも説明しちゃうのも味気ないので、ここら辺は色々と考えてるんだろうな〜と思います。実際、鈴芽自身のバックボーンは物語が進むにつれ少しずつピースがハマっていくわけで、これが現代における「脚本」ということでもあるような。
とは言え、もうちょっと序盤の段階で鈴芽の人となりみたいなものが間接的に描写されててもいいような気がします。草太との出会いも軽すぎるし、色々と「速い」……笑。

 そして、一番気になったのは我々が暮らす現実世界とのリンクですね。序盤からサブリミナル的に、LINE/マクドナルド/EVEとかがほぼ実名で登場するんですが、こういう演出は観る側の没入感をグッと深めますね。どう許可を得てどれくらいお金をかければ使用してもいいのかといったところにも興味が湧きます。そこから中盤以降はドライブシーンに於いてたくさん既存曲が使われたりしてますが、ここまでやられちゃうと、ちょっと冷めちゃう気もします……笑。

 その中でも、一番重要なのは実在の震災をフィクションに使ってもいいのかという点ですかね。実在の戦争や天災そのものをテーマにしたドキュメンタリー寄りの作品、もしくは架空の戦争や天災をテーマにしたフィクションの作品なら全然構わないと思うんですが、実際に被害に遭った人がいる震災をベースがフィクションの作品の中に混ぜてしまうのは、うーんどうなんだろう。東日本大震災に関してはまだ10年少しで復興の途中でしょうし、関東大震災に関しても100年近く経っていたらOKなのかってなるとそれも違う気がするし……。
 いずれにせよ、新海監督は「3.11」をずっと想いながら映画を作っていたようです。鈴芽が神戸を経由するのも、阪神淡路大震災を意識してのことだそう。こういう大事なことを改めて描くというのは「映画」の大きな役割のひとつだとは思いますが、今作のアプローチは少し賛否が分かれるかもしれませんね。

 他にも、細部の軽さ/小難しさはあれこれ感じたりしましたが、キリがないのでこのへんで。総じて、スペクタクルできらきらした映画ではありました。2時間で宮崎から岩手まで。ロードムービー特有の豊かさが、自分の中で小さな思い出になった気がします。

 最後にちょっとグッときたシーンを。草太が一時的に要石になったあと、色々と憔悴しながらも鈴芽は草太のアパートで入浴しますが、ああいう緊急事態の中に息づく暫定的な生活行為みたいな、日常と非日常が融合するシーンにはかなり胸を打たれました。あの一連の流れって、言葉や文章で説明しちゃうと価値がガクッと下がっちゃうわけで、こういうところは「映画」というものが持つパワーなのかもしれませんね。


ⓑ「ちくわ」との共同プロジェクト 面接『興味ないもの座談会』
 
 職員「ちくわ」さんとの共同プロジェクトで実施した『興味ないもの座談会』についてアウトプットします。

 「ちくわ」さんと一緒に新しい自拡の形式を打ち合わせする中で、お互い「話し相手が自分の興味がない話題を喋っている時にどう聞けばいいんだろう?」みたいな、会話上の小さな悩み/特性がやや共通していることが分かりまして、そこから今回の企画に発展しました。具体的には、面接形式でお互いがお互いに興味のないことを話してみて、「どう思い感じ考えるか」といったアプローチです。
 例えば僕(ASD者)の場合、自分の興味のあること以外はどう接すればいいのか困る場合もあるので、そういった意味で自拡のヒントになるのではといった狙いでもあります。

 肝心の「お互いの興味のない話題」ですが、それぞれが馴染みのあるスポーツの話を相手に聞かせるといった形を採りました。僕はサッカー、「ちくわ」さんはバスケです。これらをその話題にあまり興味がない相手に話してみて、相手はもちろん自分自身も「何を思い感じ考えるか」。かなり抽象的で不思議な取り組みにはなりましたが、色々と面白かったですよ。

 まずは「ちくわ」さんのブロックからスタートです。僕も気になったところは止めて質問しつつ、主にバスケのルールに関して教えてもらいましたよ。色々と不思議で細かいルールがあるんだな〜と感心しました。会話上の細かいことはもう少し後で言及しますね。

 次に僕のブロック。同様にサッカーのルールに関して話してみました。僕は、自分や自分の生活の中にサッカーが有るのが当たり前だったので、あまりサッカーに詳しくない人と話すのは刺激的でした。オフサイドにしたってよく分かんないですよね。

 そして最後には、話してみて聞いてみて「どう思い感じ考えたか」を共有し研究しました。「相槌ってあった方が嬉しいね」、「相手が質問してくれた方がスムーズに進むね」、みたいなベーシックなものから、「それでもそれぞれ感覚が違うから上手く擦り合わせるのは難しくて当然よね」という大きな問いかけまで、結構自由に振り返りを行いました。

 個人的な発見としては、自分自身が案外相手のことを考えて(=キャッチボールを意識して)会話をしようとしていたことです。こういう(自閉的)特性ですから、独善的に喋ってしまう傾向を自覚していたのですが、ここ数年の様々な関わりによって、そういう相互性みたいなものがある程度はインストールされていたようです。
 それが上手く行えているかどうかは分からないですし、その姿勢のみが必ずしも正しいとは思いませんが、自分のあまり意識していないところで自分が変容していることに気づいて少し新鮮でした。

 結局、「話題自体に興味がなくてもその人自体に興味があれば、ある程度は聞いていられるね」みたいなところには落ち着きました。それに加えて、「仕事」としての責任もそりゃ関係しているよねという感じ。会話のトレーニングみたいな訓練的な文脈にはあまり着地したくないのはあるんですが、それでも色々と学び得るものがあったと思います。以下、「ちくわ」さんによる感想も載せておきますね。

***

<「ちくわ」の感想>
お互いに興味のない話をしてみて

 日常生活のなかで、興味のない話を突発的に聞かされることはあるし、知らず知らずのうちに相手が興味のない話を自分がしてしまっていることもある。ただ、今回は最初からお互いに興味のない話をしようと決めて臨んだのが新鮮だった。
 今回の構造が1対1で、無反応は貫きづらいし、意外と興味がないと思っていた話でも興味を持ててしまい趣旨とはズレる形になった。
 これが講義形式や反応を制限するなど一方的な情報の提示だとまた変わった結果になったと思う。
 どういう時に話に興味が持てなくなるのか考えていくのも面白そうだなぁと。 「ちくわ」


ⓒ「ちくわ」さんとの共同プロジェクト『モール手芸』

 連続!「ちくわ」さんとの共同プロジェクトです。いきなりですが、下の写真のような、「モール」ってご存知ですか?



 中に針金が入っていて、ググッと力を加えると形を変えることができるんです。そうやって自由にモールたちを組み合わせて、アクセサリーや装飾を作ったりする試みを今回は行いました。どうやら、巷のTikTokなんかでは結構流行っているみたいです。

 そもそもこのモール手芸ですが、「今度は『ちくわ』さんがやりたいことをやりましょう」と僕が提案したことから始まりました。僕は結構、あれはやりたいこれはやりたくないという感じで生きてきたので、相手のやりたいこと(≒自分はあんまり興味のないこと)に触れることが、良い自世界拡張になるのではと考えたからです。

 「ちくわ」さんもこのモール手芸に前々から興味があったそうですが、なかなかタイミングがなかったようで、今回良い機会になりました。

 近くの百均に行って、カラフルなモールとアクセントになりそうなものを買い込むことから活動は始まりましたよ。思ってたよりも普通にモールというものが売っていて、少しびっくりしました。人間、興味のない商品棚って見てないものですね。



 いろいろ開封済みの事後撮影ですみません。当日はすごくバタバタしていて、作るのに夢中だったのです。イヤリングなんかも買いましたよ。

 こうやって、割り箸や鉛筆などの細い棒にくるくる括り付けて型を付けたりしながら、製作を進めます。



 作ってて分かったんですが、モールにしたって何だかんだ針金なので、結構手が痛いです。  「ふぎーっ!」となったりします。あと、クリスマス仕様のキラキラなモールを買ったので、ラメ部分が剥がれて床にぱらぱら落ちたりもします。皆さんも同様のことをするときは、「ふぎーっ!」となる心構えと、床をコロコロ掃除できるものを準備しておくことをオススメします。

 とまあそんな困難を乗り越えて、何とか完成したものがこちらです!⭐️



 中央のクリスマスツリーは共作、下のリースふたつは「ちくわ」さんが作りました。どれも可愛い仕上がりになりましたよ。クリスマスツリーに関しては、謎のシナジーが突然発生して、いつの間にか出来ていました。星のオーナメント代わりにイヤリングがぶら下がっています。こういう不思議な出会いも楽しいものですね🎄

 総合的に良い活動になりました。手芸みたいなものは普段まず全くやらないですし、久しぶりに手先をちまちましました。また、未知のものに対して「こうやったらどうだろう?」、「ああやったらどうだろう?」と試行錯誤したことも豊かな経験になったと思います。
 「ちくわ」さんとの共同プロジェクトは、次回がラストになりそうです。ラストに相応しい活動を計画していますよ、お楽しみに。ということで、 以下、「ちくわ」さんの感想も載せておきますね(モザイクのところは本名です)。

***



おわりに

 このはじめにとおわりにが必要なのかどうか悩んでいます。ただでさえ爆弾文字数なのに、更に延びてしまってトホホ。とは言え、冒頭はこのブログの趣旨を説明しないといけないし、最後はまとめとして一言載せたいし……。
 とまぁ、色々悩みながらもぼちぼちやっていくので、よろしくお願いします!

立春やし、シュラホールで春をさがしました

どうも。「かんりしゃ」です。
立春がありましたね。春を探しにいきましたよ。

「きょうの野菜」

(いまはまだ名前はない)

「ちゅん」

「ござる」

「ととマル」

「てって」

「かんりしゃ」

写真は撮ってないけど「サイドショー」も一緒に春を探しました。

まだまだ寒いけど、春ですね。
暖かくなるのが待ち遠しいですね。

キャリアコンサルタントの研修会で発表しました

どうも。「かんりしゃ」です。
もうすぐ年の瀬。
早い早いってなんか言いすぎですが、何か話の入りとしては、この時期はこの話題になりますね。

さっそくですが、12/13(土)に、キャリアコンサルタントの先生方の研修会で、こくりの当事者研究の発表をしに行きました。
一般社団法人キャリアカウンセリング・センターが主催の研修会です。ここの代表の先生に、こくりの職員のキャリアカウンセリングを担当頂いており、その縁で実施となりました。

場所は枚方!ちょっとだけひらパーの観覧車が見えました。

おしゃれなカフェを貸し切り、「かんりしゃ」のこくりの説明と「龍玲」の発表でした。

おいしいコーヒーとカレーをごちそうになりました。

「龍玲」の発表も、それに伴うディスカッションも大変実り多いものとなりました。
本当にありがとうございます。


これで、今年の当事者研究の発表は終わりです。
きっと。

来年度、いい感じでいろんなところに発表いけれるといいな。がんばろう。

カレー値上げのお知らせ

日頃、ご愛顧いただき、本当にありがとうございます。
おかげさまで、こくりのカレー家のカレーが多くの方に食べて頂き、ひいては福祉施設としても順調に運営できており、皆様のおかげと存じております。

この度、大変心苦しくはあるのですが、2026年2月から、カレーを通常の価格より¥100に値上げさせて頂きます。

カレー小/並:¥600
カレー大:¥700
とさせて頂きます。

昨今の物価高のあおりを受け、なかなか苦しい状況でしたが、可能な限りカレーの値上げにはつなげないでおこうと腐心しておりました。しかし止まらない物価高に継続性の限界が見え始めました。
働きに来られてる方々も、生活者で、日々の物価高に苦心しています。その皆様に工賃というかたちで少しでも多くのお金を渡すことも、就労継続支援B型こくり、またこくりのカレー家の使命ですので、今回このような決断をさせて頂きました。

ただ、単に値上げでは、申し訳なくまた面白くないとも思い、これを機によりおいしいカレールーとなるようレシピ改変を行います。

・飴色玉ねぎの追加
・スパイスの一部をすりたてに変更
・ベースのだしをより深いものとなるよう食材の見直し

また、新たなポイントカードを導入予定です。
現在おもちのスタンプカードは、たまり次第「500円引き」として用いてもらえます。期限はありません。

よりおいしく、皆さまに食べてもらえるよう、職員/スタッフ一同がんばります。
今後とも、就労継続支援B型こくり、こくりのカレー家をよろしくお願いいたします。

カレーの売り上げ 過去最高でした

どうも。「かんりしゃ」です。
11/26と27の2日間で、カレーの売り上げ杯数が、過去最高でした。

11/26(水)、100杯
11/27(木)、52杯
の計152杯でした。

26日は、1日の売り上げとしても、過去最高で、今後これを超える杯数は出なさそうな予感すらしています。

ご注文くださった方、ありがとうございました。
少しだけ大きなミスもあり、ご迷惑をおかけした方もいました。大変申し訳ございません。

どうしても、ほかの飲食店のような100点のお店にはなりようはないですが、謙虚においしいカレーを日々つくっていきます。

みなさま、今後ともよろしくお願いします。