ASDとVOCALOIDへのアンサー

どうも。「かんりしゃ」です。
壮大な情報量の、「ちゅん」の『ASDとVOCALOID』へのアンサーです。
まず、この量や文章感が「ちゅん」らしくてよいですよね。

「点線を実線に」が、今回の「ちゅん」のテーマだったように思います。
VOCALOIDという音楽のあり方は、「ちゅん」にとっては「実線感」を得やすいものなのでしょうね。
そうすると、この「実線」って何なんやろうところを「かんりしゃ」なりに検討し、アンサーとします。

「かんりしゃ」が推察するに、「ちゅん」は音楽のアイデアや、それに留まらず心にあるかたちにならない何かをたくさん抱えているのでしうね。
それはかたちにならず、誰かに(自分でも)みてもらえないので、あるのかないのか、何か自分でも判然とせえへんのやと思います。
けど、何かぐるぐるしたものやモヤモヤしたもの、熱っぽいものが「ある」のは確かなのでしょう。
判然とせえへんけど、確かに心の中にはあってそれを出したい感じ!
人によってはそれらを「衝動」と呼ぶのかもしれません。
それが何か外側にかたちとしてあらわれた時に「実線感」が得やすいのでしょう。

下記蛇足。
同時に、「点線」を抱えているその人の「からだ」は、まがうことなく「実線」です。
からだはその人のからだとして完結しており、点線ではありません。
けど、自分のからだと自分のとして充ちたりて感じること、このかたちとしていつくしみながら受け入れることは、なんだか難しそう。

臨床心理学は、この実態としての代替不可の各自のからだに、点線的なこころや思いとのアンバランスさをみつめる学問と言えそうです。

んー、アンサーのアンサーが必要そうな、ややこい文章になりました。以上!!

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