見る、見られる。見透かす、見守られる

こんにちは。「かんりしゃ」です。

特大の肉のかたまりをチャーシューにしたので、今週は毎日チャーシュー付のまかないになりました。
調理後冷凍し、解凍した後でも、全然おいしいどころか、味がしみ込んで余計おいしくなっていきます。
これでチャーシューのレシピは完成です。


このごろ、ますますいろいろな方からこの日記やものがたりをみていると声かけしてもらっています。
ほんまにうれしいです。

最初の方の日記に書きましたが、誰も見てないやろなーと思ってホームページをつくってたし、日記を書いてました。

ホームページづくりはすごく難しくて、何度も心折れました。そのたびに「誰にも見られへんものをやる意味あるんかいな?」と思っていました。

見られるためのものは、誰かに見られて初めてかたちをなします。
そこに「ある」としても、誰にも見られなければ「ない」ものと同じです。


少し話は変わります。

今度のこくりの大発表会で発表される方の何人かは、人からどう見られているかが気になることに苦心されてる方がいます。

その時に感じる目はきっと、「見守られる」目ではなく、「見透かされる」目なのやと思います。そらそういう目線が投げかけられてると思うと疲れるわ。


心理士の「かんりしゃ」はよく「わたしの心を見透かせるんですか?」と言われます。
その度に「わからん」と言うのですが、仕事としては「見透かす」仕事ではなく、「見守る」仕事なんやと思います。


こくりの大発表会、みんなの発表をぜひ見守りにきていただければうれしいです。
発表会も、誰かに見られて初めてかたちになります。
誰にも見られへんかったらそれは、何て言うのか、、、みんなの発表がないことと同じになってまう。


(見てくれてる人が多いことを知り、日記を書くモチベーションが上がり、9月は数日を残しノルマ達成です!いぇー!)

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